窓ガラスの向こう側にいる僕に、僕は石を投げつけたかった。あるいは尾崎豊特別展の感想。

尾崎豊特別展に行ってきた。
20年前、26歳で亡くなっている彼のもとには、高校生くらいの女の子から子連れの主婦やスーツを着たサラリーマンまで色んな人々が集まっていた。
みんな、社会の中で、盗んだバイクで走り出すことなんてせずにーきっとテスト勉強をしたり、運動会のお弁当を作ったり、慰安旅行で一発芸を披露したりしながらー”まっとうに”生きてきている人々だ。
それでもなぜ、僕らは彼のもとに集まるのだろう。

僕は彼の写真を見て、こう思った。人々は、自分ではどうしようもないことを、どうしようもないと決めつけて過ごしてしまうことへ、ささやかな反抗を試みているのではないかと。

「窓ガラス壊してまわった」という歌詞で有名な「卒業」のジャケット写真には、石を握って振りかぶる尾崎の拳と後頭部が写っている。その数秒後に、石は綺麗な放物線を描きながら、校舎の整然と並んだ窓ガラスの一枚にぶつかり、高い音とともにいくつもの破片が飛び散る。ジャケット写真はそんな瞬間を予測させる。
特別展では、そのジャケットの元になる全体像の写真が展示されていた。尾崎は何かを見つめて石を握っていた。
その写真を見て、気付いたことがある。彼がその先に見据えているのは、窓ガラスなんかじゃないと。石を握る彼の瞳は憂いに満ちていた。そこにはこれから破壊活動を行おうという意識の高ぶりは全く無くて、むしろ彼は落ち着いてさえいた。とてもこれから窓ガラスを割ってやろうというような表情ではなかった。
こんなのはとても勝手な解釈だけれど、彼は窓ガラスを割っても何も変わらないことをすでに悟っているように見えた。彼がそれでも石を握って向い合っていたのは、他ならぬ、ただ窓ガラス一枚割っても何も変わらないという自身の諦めに対してなんじゃないかと思う。

そして”まっとうな”人々が集まる理由もそこにあるんじゃないかと僕は思う。きっとそこに集まった人々はー僕も含めてーいろんなことに折り合いをつけながら日常を過ごしている。けれど僕らは、そうして折り合いをつけて生きていくことにどこかで憤りも感じている。そんな時にふと尾崎の歌を口ずさんでみる。声を荒げたり、殴ったりしても変わらないと分かっているからこそ、どうしようもないと言って自分に言い聞かせてみる。それでも静かに溜まっていく違和感を、道端の石ころに託して、握ってみる。そんなことでいいのかい?と問いかけながら。尾崎が26年間という短い間に感じた憤りと、それに対するあがきを、僕らもまた抱えているのだ。そしてそれを確認するためにー結局は自分が抱えていくものだ分かっていてもーしばしの共感を得るために僕らは死後20年という時が経過した今も彼のもとに集まり、彼の姿に触れようとする。

プロデューサーの須藤晃が指摘する。これは尾崎の歴史でもあり、同時に、来場者自身の歴史でもあると。僕は展示を回りながら、どうしようもないことをどうしようもないと決めつけて過ごしてしまうことへ、ささやかな反抗を試みる。同時に尾崎豊に対しても少し愚痴をこぼしてみる。なんでもっとあがきながら生きなかったんだよと。

でも、また、こうも考えてみる。もし尾崎が20年前に死なずに、今も生きてあがいていたら、僕はその姿を嘲笑せずに見ていられたかと。そして、そんな人々は案外身近にーたとえ彼らが尾崎豊特別展に足を運んでいなくてもーたくさんいるのだということに思い当たる。

石をポケットに入れながら、あがきながら、生きていこうと思いながら会場を後にした。

なんかどんなふうにおしまいにすればいいのか分からなくなってしまったけれど...

「目に映るものすべてを愛したい」(存在)